久しぶりの更新となります。
2月の名古屋三越から始まった辻まさたかが副代表を務める「輪島の未来のために」の催事は、奈良市、大阪、東京、そしてまた大阪と次々と休む間もなく開催され、たくさんの方の応援のお陰様で、当初決まっていました全ての催事が無事終了いたしました。
お越しくださった皆さま、ご協力いただきました皆さまに心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
また今後も、6月以降の催事や活動状況など、
「輪島の未来のために」の詳しい活動は、公式Instagramでアップしていますので、そちらをご覧くださいね。
今日は、辻椀木地木工芸の工場のお話し。
昨日5月9日に、災害ボランティアの方々に辻椀木地木工芸の工場の片付けを手伝っていただきました。
窓口は社会福祉協議会で、当日の手配等の対応をしてくださったのは茨城県の社会福祉協議会から応援に来てくださっているスタッフさんでした。
そして実際現場で作業してくださったのは、茨城や千葉など関東の方から来てくださったボランティアさんたち。
かほく市など、石川県内から来てくださった方もいらっしゃいました。
年齢もさまざまで、社会人の男性の方々や、大学生の女の子たちもいました。

元旦の震災の影響で、工場の中が思った以上に散らかっていたためか、第一陣で6名来てくれたのですが、
あまりの規模の大きさと散らかり様を見て、さらに応援を呼んでくれました。
最終的になんと13人の方に手伝っていただくことに!
うちの工場は鉄筋三階建てで、建物自体の被害はほとんどないのですが、震災時に積んであった材料が倒れ散乱。
機械や工具、棚なども倒れたまたま手がつけられずにいました。
そこで今回は、主に一番使う材料や工具がある一階の片付けを依頼しました。





工場一階の散乱した材料や、壊れた棚、長年放置した故に散乱してしまった工具たち、材料が入ったままのダンボールなど、ありとあらゆるさまざまなモノたちを一旦工場の外に出し、
それから捨てるモノと残すモノを仕分けていただくことにしました。




四代続く椀木地屋だけあって、あまりのモノの多さに一同びっくり&呆然としつつも、
みなさんテキパキと作業してくださいました。







一時はどうなることかと思いましたが(本当に片付くの?と)、
夕方までにはびっくりするくらい片付きました🥹
大人数で作業するってこういうことなんですね。
辻椀木地木工芸に嫁いで10年以上経ちましたが、こんなに工場の床が見えているのは初めて見ました!




震災後は、夫と2人で少しづつ工場を片付けてはいましたが、
2人ではどうにもできない量のものが散乱していたためと、催事による忙しさでしばらく放置していた工場。
正直途方に暮れていたわけですが、
ボランティアの皆さんのおかげで希望が見えてきました。
ボランティアのみなさん本当にありがとうございました!
すごく大変な作業だったのにみんな明るく元気に作業してくださって、感謝してもしてもしきれないです。
みなさん本当にいい方たちで、清々しい気持ちになりました。
そしてたくさん元気をもらいました‼️
本当にありがとうございました✨
この感謝の気持ち、大きすぎて言葉では上手く伝えられません。
それくらい感動と感謝でいっぱいです。
大学生の女の子たちも可愛かったし、
男性のみなさんも本当にみなさん丁寧に作業してくださって、
こんなに人のために行動できるって凄いなって、
愛のある行動に胸打たれました。



能登を応援してくれてありがとうございます!
正直、年始から工場も止まってしまって、
輪島塗産業を絶やさないための活動を必死でやってきたここ数ヶ月。
でも工場はまだ止まったままで、ちょっと心が折れそうというか、疲れたことは何度もありました。
数ヶ月経っても輪島や能登全体の景色は元旦から時が止まったままだし‥。
でも、見ず知らずの人たちがこんなに応援してくれてるんだから、
また明日からも頑張ろうと思いました。

ボランティアのみなさん本当にありがとうございます。
そしてお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね。
ちなみに、今回廃棄となるゴミたちはこんな感じ。


うちは工場なので木材が多いですが、
うちだけでなく、輪島市をはじめとする奥能登のほとんどの家々からこの様な災害ごみが出ます。
壊れた家具などや水に濡れてしまったものなど想像を絶する量のゴミです。
復興が進まないわけです。
それでも、前を向いてやっていくしかありません。
「がんばります」と言うと疲れてしまうので、
一歩一歩進んでいきます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
辻椀木地木工芸
辻 真澄
“災害ボランティアさんに工場を片付けてもらいました。” への1件のフィードバック